お砂糖コラム6 日本の砂糖

日本に砂糖が伝わったのは、奈良時代といわれています。
もちろん、当時の他の文物同様、中国からもたらされたものでした。

輸入に頼らざるを得ない砂糖は、ヨーロッパの歴史と同じように、最初はやはり薬として用いられました。
当時「菓子」という言葉もありましたが、これは果物のことをさしました。

本格的に砂糖が知られるようになったのは、南蛮貿易が盛んに行われた戦国時代ごろからです。

種子島にポルトガル船が漂着して、鉄砲を伝えたことからはじまった南蛮貿易は、織田信長をはじめとする戦国大名らによって保護され、取引もさかんに行われました。

そうしたもののなかに、つんつんとした角をもつ小さな砂糖のかたまり……そう、金平糖がありました。
その後、砂糖を使ってカステラなども作られるようになっていきます。

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本格的に砂糖の栽培が始まったのは、江戸時代に入ってからです。
現在の鹿児島県のあたりにあった薩摩藩は、サトウキビ栽培を始めていた琉球や奄美を支配し、黒砂糖を藩の専売とすることにより莫大な利益を得ました。

また、8代将軍徳川吉宗が、サトウキビの栽培を奨励した結果、四国・中国・近畿地方などでも栽培がおこなわれるようになります。

琉球の砂糖は、黒砂糖ですが、これらの地域では白砂糖が作られました。
これを「和白糖」といいます。

特に讃岐(香川県)や阿波(徳島県)の「和三盆」は、高級品とされ今に伝わります。
現在でもその価値は変わらず、高級な和菓子などに使われ多くの人に愛されています。

しかし、それら以外の砂糖は、幕末の開国によって外国産の安い砂糖が入ってくると対抗できなくなり、多くが消滅しました。

ところで、狂言「附子」は、主人が隠し持っていた「砂糖」を、機転を働かせて太郎冠者と次郎冠者の二人で食べてしまう、というお話です。
国語の教科書などでも取り上げられていますから、ご存知の方も多いでしょう。

もともとは、『沙石集』という鎌倉時代中期に成立した仏教説話集のなかの「児の飴食ひたること」というお話がもとになっています。

砂糖にせよ、飴(水飴のようなもの)にせよ、こうした古典などからも、「甘味」がどれほど人を魅了してきたかがよくわかりますね。